1957年のヴィンテージ作柄・出来・評価
フランス
ボルドー
1957年のボルドーは、20世紀を通じて最も困難で悲惨なヴィンテージの一つとして広く記憶されています。春に発生した深刻かつ広範囲な霜害により、ブドウの若芽は甚大な被害を受け、収穫量は壊滅的に減少しました。生き残ったブドウも、その後の冷涼で日照不足の夏、そして収穫期にまで続いた長雨という悪天候に見舞われ、健全な成熟はほぼ不可能でした。結果として生産されたワインの多くは、色が薄く、水っぽく、未熟な酸が際立ち、果実味やタンニンに著しく乏しい、希薄なものでした。メドックの主要アペラシオン、例えばポイヤック(シャトー・ラトゥール、シャトー・ムートン・ロートシルト、シャトー・ラフィット・ロートシルトなど)、サン・ジュリアン(シャトー・レオヴィル・ラス・カーズ、シャトー・レオヴィル・バルトンなど)、マルゴー(シャトー・マルゴー、シャトー・パルメなど)、サンテステフ(シャトー・コス・デストゥルネル、シャトー・モンローズなど)では、ほとんどのシャトーで軽く酸っぱく、早飲みを強いられるか、あるいはシャトー名を冠するに値しない品質のワインしか生産できませんでした。グラーヴのシャトー・オー・ブリオンやシャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン、ドメーヌ・ド・シュヴァリエなども、この年の悪条件からは逃れられず、同様に品質の低いワインとなりました。右岸のポムロール(シャトー・ペトリュス、シャトー・ラフルール、シャトー・トロタノワ、ヴュー・シャトー・セルタン、シャトー・ラ・コンセイヤントなど)とサンテミリオン(シャトー・シュヴァル・ブラン、シャトー・オーゾンヌ、シャトー・フィジャックなど)でも、メルロー主体でありながら非常に水っぽく、果実味が希薄で、熟成能力はほぼ皆無と言えるワインが中心でした。ソーテルヌとバルサックの甘口貴腐ワインにとっては絶望的な年で、貴腐菌の発生に必要な条件が全く整わず、シャトー・ディケムやシャトー・クリマンといったトップシャトーの多くが生産を完全に見送りました。グラーヴの辛口白ワインも、シャトー・オー・ブリオン・ブランやドメーヌ・ド・シュヴァリエ・ブランなどで、酸が非常に強く、果実味に乏しく、熟成には全く不向きなものがほとんどでした。
ブルゴーニュ
1957年のブルゴーニュは、ボルドー同様、春の深刻な霜害によって壊滅的な打撃を受け、歴史に残る困難なヴィンテージとなりました。その後の夏も冷涼で雨が多く、日照不足が続き、収穫期には灰色カビ病が蔓延するなど、ブドウの成熟にとっては最悪の条件が重なりました。ピノ・ノワールとシャルドネは共に健全に成熟することができず、収穫量も激減しました。赤ワインは色が極めて薄く、希薄で、強い酸味と未熟なタンニンが目立ち、果実味はほとんど感じられないものが大半でした。コート・ド・ニュイのヴォーヌ・ロマネ(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの畑を含む)、シャンボール・ミュジニー、ジュヴレ・シャンベルタン、ニュイ・サン・ジョルジュ、クロ・ド・ヴージョといった名高いアペラシオンでさえ、軽く酸っぱく、品質の低いワインしか生産できませんでした。コート・ド・ボーヌのポマール(レ・リュジアンなど)、ヴォルネイ(クロ・デ・シェーヌなど)、アロース・コルトン(コルトンのグラン・クリュを含む)も同様の状況でした。白ワインも、ムルソー(レ・ペリエール、シャルムなど)、ピュリニー・モンラッシェ(モンラッシェ、バタール・モンラッシェなど)、シャサーニュ・モンラッシェ、コルトン・シャルルマーニュといった主要アペラシオンで、酸が鋭く、非常に希薄で、バランスを著しく欠いたものが多く生産されました。シャブリでは特に酸っぱさが際立ち、マコネやボジョレーといった南部ブルゴーニュのワインも未熟で特徴に乏しい、凡庸なものが中心となりました。
ローヌ
1957年のローヌ地方は、春の深刻な霜害と、それに続く冷涼で雨の多い夏、そして収穫期の悪天候により、北部・南部ともに非常に厳しいヴィンテージとなりました。北部ローヌ(エルミタージュ、コート・ロティ、コルナスなど)のシラーは、成熟が著しく妨げられ、色が薄く、軽く、酸が強いワインが中心でした。南部ローヌ(シャトーヌフ・デュ・パプ、ジゴンダス、ヴァケラスなど)のグルナッシュも同様に成熟不足で、バランスに欠け、希薄なものが多く見られました。ポール・ジャブレ・エネのエルミタージュ・ラ・シャペルや、シャトー・ド・ボーカステルのシャトーヌフ・デュ・パプといったトップクラスの生産者でさえ、この年は通常からはほど遠い、品質の低いワインしか生産できなかったと記録されています。
ロワール
1957年のロワール地方もまた、春の深刻な霜害と、その後の冷涼で雨の多い気候により、多くの地域で壊滅的な影響を受けたヴィンテージでした。ソーヴィニヨン・ブランを主体とするサンセールやプイィ・フュメでは、ブドウが十分に熟さず、ワインは非常に酸が強く、しばしば未熟な青臭さが感じられ、果実味に乏しいものとなりました。シュナン・ブランを用いるヴーヴレやモンルイなどのアペラシオンでも、辛口・甘口ともに希薄で、酸が際立ち、バランスを欠いたものがほとんどでした。ミュスカデ地区のワインも酸が強く軽量で、カベルネ・フランを主体とするシノンやブルグイユなどの赤ワインも、色が薄く、軽く、個性や魅力に乏しいものが大半を占めました。
シャンパーニュ
1957年のシャンパーニュは、春の深刻な霜害、冷涼で日照不足だった夏、そして収穫期の雨という悪条件が重なり、ブドウの成熟が著しく阻害された壊滅的なヴィンテージでした。収穫されたブドウは糖度が極めて低く、酸度が高いものが多く、健全な状態とは言えませんでした。そのため、ほとんど全てのシャンパン・メゾンがヴィンテージ・シャンパーニュの生産を見送りました。ノン・ヴィンテージのブレンドに使用されるベースワインでさえ品質が著しく低く、生産量も限られたため、多くのメゾンにとって極めて苦しい年となりました。
イタリア
ピエモンテ
1957年のピエモンテは、フランスの多くの地域と同様に、春の霜害と、それに続く冷涼で雨の多い気候により、厳しいヴィンテージとなりました。特に晩熟なネッビオーロ種は成熟に苦労し、バローロとバルバレスコでは、ワインは色が薄く、軽く、酸が強く、タンニンも未熟で、熟成力に欠けるものが多く生産されました。バローロ村、ラ・モッラ村、カスティリオーネ・ファレット村、セッラルンガ・ダルバ村、モンフォルテ・ダルバ村といったバローロの主要コミューンや、バルバレスコ、トレイゾ、ネイヴェといったバルバレスコ地区の村々でも、全体的に品質は低いものでした。
トスカーナ
1957年のトスカーナもまた、冷涼で雨が多く、日照不足にも悩まされたため、サンジョヴェーゼ種を主体とする主要な赤ワインにとって困難なヴィンテージとなりました。キャンティ・クラシコ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチャーノなどのアペラシオンで、ブドウは十分に熟すことができず、ワインは軽量で、酸が強く、果実味が不足し、タンニンも未熟なものが多く見られました。モンタルチーノやキャンティ地区で、バランスの取れた複雑なワインが生まれることはほぼ皆無でした。
ドイツ
1957年のドイツワインは、冷涼で雨の多い、極めて困難な天候条件に見舞われた年でした。モーゼル、ラインガウ、ファルツといった主要なワイン産地では、特にリースリング種の成熟が著しく不十分でした。その結果、生産されたワインの多くは酸が非常に強く、糖度が低く、アルコール度数も低く、全体としてバランスに欠け、非常に軽いスタイルとなりました。カビネットやシュペートレーゼクラスのワインでさえ、軽く希薄なものが多く、貴腐菌の発生はほぼ皆無で、高品質なアウスレーゼ以上のクラスの甘口ワインの生産は絶望的でした。エゴン・ミュラーのシャルツホーフベルガーのような著名な畑のワインも、この年の一般的な低い品質レベルを免れることは困難でした。
スペイン
リオハ
1957年のリオハは、冷涼で不安定な気候と多雨により、テンプラニーリョを主体とするブドウの成熟が妨げられ、厳しいヴィンテージとなりました。生産されたワインの多くは、色が薄く、軽量で、酸が強く、ストラクチャーや凝縮感に欠けていました。高品質なレセルバやグラン・レゼルバクラスのワインはほとんど生産されず、リオハ・アルタ地区やリオハ・アラベサ地区のワインも全体的に品質が低いものでした。
ポルトガル
ポート
1957年のポートは、ドウロ渓谷の天候不順により、ヴィンテージ・ポートとして宣言されることはありませんでした。ブドウの成熟は不十分で、ワインは凝縮感や力強さに欠け、全体として品質は平均以下と評価されています。キンタ・ド・ノヴァルやキンタ・ド・ボンフィン(ダウ社所有)といった主要なキンタのコルヘイタ・ポートやLBV(レイト・ボトルド・ヴィンテージ)についても、この年は軽く、熟成力に欠けるものが多かったとされています。
アメリカ
カリフォルニア
1957年のカリフォルニアは、ヨーロッパの多くの産地が経験したような壊滅的な天候不順には見舞われなかったものの、全体的には涼しい気候条件の年でした。一部の地域では収穫期に雨の影響も見られましたが、平均的な品質のワインが生産されました。ナパ・ヴァレーやソノマ・カウンティで生産されたカベルネ・ソーヴィニヨンやシャルドネは、比較的軽めでエレガントなスタイルとなり、際立った凝縮感や力強さはありませんでしたが、バランスの取れたものが造られました。
オーストラリア
1957年のオーストラリアは、バロッサ・ヴァレー、クナワラ、ハンター・ヴァレーといった主要なワイン産地において、シラーズ(シラー)やカベルネ・ソーヴィニヨンから概ね平均的な品質のワインが生産された年とされています。特筆すべき天候不順の記録は少なく、比較的安定したヴィンテージでしたが、傑出した評価を得るには至りませんでした。この年のペンフォールズ・グランジ(当時はグランジ・ハーミテージ)は生産されましたが、他の偉大なヴィンテージと比較すると、まずまずの評価に留まるとされています。