1974年 シャトー・カノン 赤ワイン















1974年のボルドーは、評価の分かれる難しい年として記憶されている。春は順調に始まったものの、夏は冷涼で日照不足、収穫期の10月には雨にも見舞われ、葡萄の熟度は伸び悩んだ。メドックの赤は概して骨太さに欠ける軽い仕上がりとなったが、メルロー主体のサン・テミリオンやポムロールでは右岸の早熟な土壌特性が幸いし、メドックよりも安定した出来となった。半世紀の熟成を経た現在では、当時地味と評されたワインも個性を獲得し、静かな魅力を放つようになっている。
シャトー・カノン
シャトー・カノン(Chateau Canon)は、ボルドー右岸サン・テミリオン地区、村の中心に程近い石灰岩台地(コート・サン・マルタン)の上に位置する名門シャトーである。アペラシオンはサン・テミリオン・グラン・クリュ・コントローレで、1955年の最初のサン・テミリオン格付け制定以来、最上位「プルミエ・グラン・クリュ・クラッセ B」の地位を一度も失うことなく守り続けてきた数少ない蔵元のひとつである。畑はサン・テミリオン村の中心市街地から徒歩圏内の高台に広がり、隣接または近接するシャトーにはオーゾンヌ(Chateau Ausone)、ボー・セジュール・ベコ(Beau-Sejour Becot)、ベレール・モナンジュ(Belair-Monange)、クロ・フルテ(Clos Fourtet)、トロロン・モンド(Troplong Mondot)、トロットヴィエイユ(Trottevieille)といった同格のプルミエ・グラン・クリュ・クラッセ勢が肩を並べる。
サン・テミリオン地区は、ボルドー右岸ドルドーニュ河沿いに広がる中世以来のワイン産地で、村全体が「サン・テミリオンの管轄区」としてユネスコ世界遺産に登録されている。地形は大きく分けて、村を取り囲む石灰岩の高台(コート)、ポムロールに隣接する砂利混じりの段丘(グラーヴ・サンテミリオン)、そして広大な平地(ピエ・ド・コート)の三つに区分される。シャトー・カノンが立つ高台はアステリ石灰岩(calcaire a asteries)と呼ばれる第三紀の堆積岩で構成され、岩肌をくり抜いた地下採石場跡が天然の熟成セラーとして使われてきた歴史を持つ。サン・テミリオン格付けは1955年に制定され、約10年ごとに改訂されるという独自の運用で知られ、現行制度(2012年改訂・2022年改訂)では最上位のプルミエ・グラン・クリュ・クラッセAとBの二段階に区分されている。
シャトー・カノンの起源は18世紀末に遡る。フランス海軍の士官ジャック・カノン(Jacques Kanon)が当地に居を構え、シャトーの礎を築いたことが現在の名前の由来とされる。19世紀にはサン・テミリオンの市長を務めたレイモン・フォントモワン(Raymond Fontemoing)家の所有となり、1919年にフルニエ家(Fournier)が取得した。本ヴィンテージ1974年は、若き当主エリック・フルニエ(Eric Fournier)が運営を引き継いで間もない時期にあたり、フルニエ家のもとでカノンは石灰質土壌に育まれた古典的で気品あるサン・テミリオンとしての地位を不動のものとしていった。その後1996年にシャネル(Chanel)を擁するヴェルテメール家(Wertheimer)が買収し、ジョン・コラサ(John Kolasa)の指揮下で全面的な再生が行われた。近年は2015年からニコラ・オードベール(Nicolas Audebert)が運営を担い、伝統と現代的洗練を融合させている。
畑は石灰岩台地の上におおむね34ヘクタール前後(本ヴィンテージ当時はおよそ22ヘクタール、その後2011年に隣接シャトー・マトラの一部を取り込んで拡張されたとされる)。表土は赤茶けた粘土と石灰質の薄層が広がり、その直下にアステリ石灰岩の岩盤が控える典型的なコート・サン・マルタンのテロワールである。石灰岩の保水性と粘土の養分供給がバランスよく、暑い年でも極端な過熟を避け、冷涼な年でも一定の成熟を支えるという美点を持つ。地下20メートルには採石場跡の天然熟成セラーが広がり、当地特有の安定した低温・高湿度環境で樽熟成が行われる。品種構成はメルロー約75%、カベルネ・フラン約25%。セカンドワインは「クロ・カノン(Clos Canon)」(旧称クロ・J・カノン)として知られる。
醸造は伝統的な手法を基調とし、コンクリート・タンクと木製発酵槽を使い分け、約3週間の発酵・果皮浸漬を経た後、樽熟成はおおむね18ヶ月程度。新樽比率は時代により異なるが、現代ではおおむね50%前後で運用されているとされる。生産量は年間およそ7万~8万本前後と中規模で、希少性も自然と保たれている。サン・テミリオン格付けでは、1955年・1969年・1986年・1996年・2006年・2012年・2022年の度重なる改訂を通じて、常にプルミエ・グラン・クリュ・クラッセを保持し続けてきた。本ヴィンテージ1974年は、シャネルによる近代化以前の純粋なフルニエ時代の作品であり、石灰岩台地特有のミネラルとメルロー主体の柔らかさを率直に映し取った、古典派サン・テミリオンの一本である。
味わいの特徴
メルロー約75%、カベルネ・フラン約25%。51年の熟成を経た現在、若い頃のプラムやブラックチェリーの果実味は静かに姿を消し、なめし革、トリュフ、紅茶、湿った下草、ドライフラワーを思わせる三次アロマが主役となっている。色調は深い煉瓦色を帯び、グラスのエッジには琥珀色の縁取りが見える。タンニンは完全に溶け込み、絹のような舌触りで口中を滑らかに包み込む。石灰岩台地特有のミネラルが背筋を通し、メルロー由来の柔らかな果実の名残と、カベルネ・フランがもたらす軽い香草と煙の風味が複雑に絡む。余韻は穏やかでありながら長く伸び、半世紀の歳月が静かに溶け出していく。
1974年という時代
1974年、日本では田中角栄首相が金脈問題により退陣に追い込まれ、後継の三木武夫内閣が発足した。プロ野球では巨人のV10が阻まれ、長嶋茂雄が「我が巨人軍は永久に不滅です」の言葉を残して現役を引退した年でもある。海の向こうではニクソン米大統領がウォーターゲート事件で辞任し、戦後初の現職大統領辞任という歴史的転換点を迎えた。半世紀の熟成を経たこの一本は、その年に生まれた方への誕生年ワインとして、また人生の節目に開けるサン・テミリオンの古典として、グラスの中に時代の空気ごと届けてくれる。
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